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コラム

【実話】26年目の胎内記憶。覚えていること全部書きました。

千上舞桜です。

胎内記憶という言葉を聞いたことはありますか?

また、お子さんから話を聞いたことはありますか?

予備知識の通り、胎内記憶とは「お母さんのお腹の中にいた時(胎児の頃)の記憶」(や、それよりも前の記憶)のことを指します。

そして、現在26歳の私もその記憶を持つ1人です。

5月にmydioラジオ「ちがみの湯」で触れたこのお話を詳しく書いていこうと思います。

自覚した瞬間

これ、忘れちゃいけない気がする。

という直感が働いたのが、2歳頃。保育園に登園する前のことでした。

朝起きてみて、夢とは違う感触がする記憶を一気に思い出した日がありました。
幼いながらにその記憶の重要性を感じたのですが、上手く言葉に表すことができないと判断し、もう少し大きくなったら話そうと心に閉まっておくことにしました。

次の行動に移る前。
その記憶が夢ではない実際の体験であると認識するため、寝室をぼーっと見つめていました。元々準備や行動が遅い子供だったので、両親からその間について何か問いただされることはありませんでした。

誰にも言わない。聞かない。

2歳というと私は保育園の登園拒否を始めていたのですが、胎内記憶を自覚してからの登園で先生やクラスメイトにその話をしたことはおそらくないです。

もし話していたら連絡帳に書かれて家族には伝わっているはずだからです。

言葉を覚え始めてハチャメチャな会話をしていたことは覚えていますが、人の顔色を伺う性格や、登園拒否により滲み出ていたであろう嫌悪感からも話していないと考えられます。

言語能力で表すと、飼い猫を猫と認識しておらず、「ペットはワンワンと○○(猫の名前)」と話していた時期です。それでも同年代の子とは話が合わないように感じていたので、クラスメイトに対しても共有したとて話にならないと判断していました。

胎内記憶の内容

大きく分けると、「お空の世界」「母のお腹に入るまで」「お腹の中で聴いた音」「お腹の中で感じた香り」です。

SNSで調べてみると人それぞれで統一性のない景色を見ている印象でしたので、私の記憶についても一例として受け止めてください。

それでは項目ごとに書いていきます。

お空の世界

足元に雲が広がる世界で、女神様(顔が見えないのでその立ち位置の存在)1人と天使たち(後の赤ちゃん)がいました。

その世界では女神様が水晶玉を持っており、おとぎ話のようにそこから風景を覗くことができました。母の妊娠の順番が回ってきたある日、そこで両親を選びました。

母のお腹に入るまで

女神様の水晶玉に将来のお父さんお母さん候補が映し出され、一組ずつ家庭の雰囲気を見ていきました。

私は2組目か3組目で両親を選びました。理由は、一番幸せに過ごせそうだから。
それまでに見ていたお父さんお母さん候補は既に赤ちゃんを抱っこしていたり、ここじゃないかもしれないという空気を感じ取っていました。

水晶玉の動きですが、簡単に言うとスワイプ(もっと不思議な力要素)とフェードインアウトで風景が切り替わっていくイメージが近いかと思います。

空から急降下していくような感覚で一度記憶が途切れているので、そこで母のお腹の中に入っていったと予想しています。

お腹の中で聴いた音

生活音も聴いていたのだろうと思いますが、圧倒的に記憶を占めているのはゲーム音楽でした。

当時、両親がやっていた「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のメインテーマはこの時から刷り込まれていたと思います。幼い頃に初めて耳にしたタイミングで、既に知っている曲として認識していたからです。

さすがにストーリーは理解していませんが、このテーマ、このフィールド音楽……絶対お腹の中で聴いてた。と記憶が繋がりました。

当時の家にはエレクトーンがあり、妊娠中でも母が日常的に弾いていたようなので理由の一つになるかと思います。生まれる前から勇者や英雄だったようです。

お腹の中で感じた香り

これは食べ物の香りです。味覚は感じませんでした。

一番記憶に残っているのはトマト。つわりが酷くなるとひたすらトマトを食べていたそうです。たまにアップルパイも感じました。

これが後々、我が家においての胎内記憶の可能性を高めていきます。

ずっと話さなかったの?

寝る前に母と雑談をする時間帯がありました。

テレビ番組を観ながら、時代が移ればYouTubeを観ながら他愛もない話をするだらけた時間です。気持ちいいですよねあれ。

しかし、私が10代すぐから反抗期だったため常にぎくしゃくしてしまい、当時本格的に話すことはありませんでした。ただ、親子そろってゲームが好きなため、ゲーム音楽の話をしていた流れで一部話していたことはあります。

それでも「忘れちゃいけない気がする」という自覚当時の直感を信じ続け、当時の感触をそのまま上書きして過ごしていました。

ついに告白!

大学や専門学校を経て24歳になった時、ついに母とこの話題を真剣に話す時がやってきました。といっても、先述の他愛もない時間です。

社会人になり一般企業で働き始め、やっと反抗期を抜け出した私は母よく仕事の相談をにするようになっていました。互いにお気に入りのコーヒーを飲みながら会話をしていた時に、話の流れで告白の瞬間が訪れました。

それ私言ったことあったっけ?

母が思わず固まったのは「アップルパイ」というワードでした。

確かに母は私より好んでアップルパイを食べていましたが、妊娠中にトマトのように食べていたことは話していなかったからです。私も恐る恐る聞いてみた結果、2人して「これはマジかもしれない」と感じた瞬間でした。

この日を境に私は覚えていることを洗いざらい話し、22年ほど秘めていた胎内記憶を両親と共有することができました。

あまり文中に登場しなかった父は仕事の都合で家を空けることがほとんどだったため、家族そろって食事をとれるような日に話しています。

父は霊感を含めたスピリチュアルな体験をあまりしないため、興味はありつつも信じたくない複雑な感情だったように感じます。(それがまた面白い)

無理に聞き出さず、耳を傾けて

ラジオ本編では「ある意味研究のしようがない分野かもしれない」という前置きをさせて頂きましたが、研究者の方はいらっしゃいます。(あくまで当時の私の発言です。)

加えてSNSを見る限り、胎内記憶は無理に聞き出したりせず、話してくれるその時を待つという流れでその子の記憶を正確に引き出してくれるのではないかと感じています。

私も言葉にまとめられないうちに話をしてしまっていたら、あることないことを喋ってしまったかもしれません。

そして、最後に。

私は話すまでに長い年月をかけました。話をする決意をするタイミングは人それぞれかと思いますが、いかなる場合でも、どうか否定せずに受け入れてあげてください。

以上、ご覧いただき有難うございました。

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