千上舞桜です。
・2025年1月半ばより膝の怪我で入院し、3月1日に退院。
・病院名や医師名を伏せた上でリアルな表現を使用します。ご注意ください。
・表現者さんや身体を動かす職種の方への参考になれば幸いです。
こちらの続きです。
退院してからのお話を「ちがみ退院日記」として綴っていきます。
あくまで日記としてご覧ください。
退院してやりたかったこと
リハビリで何周も散歩をした駐車場で車に乗ります。
入院前までは悲鳴を上げながら乗り込んでいた自宅の車。
悲鳴は上げずに済みましたが、当時90°から先に曲げられない膝をどうにか押し込むのは至難の業でした。
広い場所で扉を全開まで開き、勢いで乗り込んでみて、ドアの内側に激突しながら笑うしかない。ここまで乗車。そして降車でも同じことが行われました。
自宅に到着すると1ヶ月半ぶりの祖父との再会です。
あの日、お互いの安全のために避けることしかできず別れて44日。やっと笑顔で会うことができました。
病院での面会は感染症対策で規制があったことや、祖父自身の体調を考慮して直接会うことはせず、テレビ電話で数回話す程度に留まっていました。
自宅内外の階段は手すりを持って片足ずつ(昇りは右足から、下りは左足から)という条件で問題なく昇り降りができました。
怪我をした瞬間は一生歩けなくなるのではないかと感じていたため、自宅に帰ってきても現実を生きている心地がしませんでした。
そしてそして……
前回埋め込んだツイートに共通していたあるワードを覚えているでしょうか。
そう、ラーメン。
20年近く通う大好きなお店に向かいました!
信号を渡り切れる速度まで歩く練習をし、カウンター席に座れるように足を曲げる練習をし、念願のラーメン。私の健康食。
最終目標はもちろん踊ることですが、プロセスで叶えたかったのがこのお店への来店でした。
体力を蓄えて自宅に戻ると、出かける前に回しておいた洗濯物を干していきます。
膝が曲がり切らず、腕が短いという最悪な条件なもと、頑張りました。
パンこね職人をしていたクッションも天日干しし、ポケモン達も消毒してすっきり。
痛いと叫ぶ代わりに行きたいお店をリストアップしていった某ツイートのリハビリ。
病院付近の道沿いのお店を挙げていたことがすぐにバレてしまいましたが、この日の内に昼食と夕食で2店食べに行くことができました。
念願のお出かけ&プチ職場復帰
退院日を3月1日にしたのは迎えの都合もありますが、翌週にどうしても行きたい場所があったからです。
出身校であり、ダンス講師アシスタントをさせて頂いていた、総合学園ヒューマンアカデミー横浜校パフォーミングアーツカレッジ第10期生の進級公演です。
集中稽古手前で離脱してしまい、本番前の大詰めに携わることができなくなってしまった代の初舞台。
片松葉だったとしても行きたいと、退院の話が出始めた頃から周知の如く先生方や看護師さんにお願いをしておりました。
ただ、前回書いた通り階段の練習などで長めに入院をしているため、急いで出てきた!というわけでもありません。😇
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ラゾーナ川崎プラザソルの壁で撮影するという映えを華麗に忘れるちがみ。
午前中にリハビリを頑張ったご褒美に進級公演観劇という1日でした。
そして、中旬には同校の講師会議と卒業パーティーに参加させて頂きました。
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この日も前々からお声が掛かっていたので、怪我関係なく出席を予定していました。
10期生の進級公演のお手伝いや、卒業パーティーで顔を合わせた9期生とは
という会話が定番になってしまいました。
3月のパフォ関連は元々ブログを書こうとしていたので、記事が完成したらリンクを差し替える予定です。(出たよ書く書く詐欺……)
そして毎回、本当に少しずつですが、パフォに行くとリラックスできるのか膝の調子が良くなる現象が起こり始めます。
3月のリハビリ
やっと本題のような。
退院後のリハビリを思い出せる限りで書いていこうと思います。
3月からは外来担当の理学療法士の先生に代わりました。この方とは入院中に顔合わせをしており、実際に膝の調子を診ていただきました。
とはいえ、90°以上曲がらない我が膝……。入院中から続けていた皮膚のマッサージに加えて超音波をかけ始めました。
ここで判明したのは、ちがみは痛みにめちゃくちゃ弱い部類であること。これは生理痛などにも影響しているのではないかという先生の予測。……心当たりがありすぎる。
感度を一番低くしても痛がることから、手術前の整復で上げていた悲鳴はマジのガチだったことが証明された瞬間でした。
接骨院時代も電気に慣れるのは時間がかかっていましたが……超音波では傷口に染みるような痛みと内部に響く痛みでビビりまくるちがみ。
おそらく当時は人見知りも込みだった気がしますが、最新(2025年5月)の段階でも1.3が違和感なく耐えられる感度です。リラックスがてら会話をしている途中でしれっと1.5にされると何かを察します。笑
また、自主トレ用にメニュー表をいただき、痛みが少ないものから実施していくことになりました。
皮膚の動かし方、セッティングなど入院中から取り組んでいたものに加えて、トレーニング用のゴムを使用した太腿の筋トレやストレッチ、踵上げが記載されていました。
嬉しいことに、これらは入院中に担当してくださっていた理学療法士の先生にもご協力いただいて作成してくださったとのことでした。皆様親切すぎる……。
トレーニング用のゴムはその日のうちに百均で購入しました。
退院後のリハビリは家事による強制的な膝の曲げ伸ばし、1日1㎞以上のお散歩、自主トレメニューに取り組むというルーティンになりました。
実は退院翌日に公園巡りをして3.2㎞歩いたちがみ。脚がカチカチになりながらも歩き続けたちがみ。さすがに先生方からも総ツッコミ。🤣
とにかくたくさんお散歩に行きましたが、脚の疲れが全身に広がりお昼の時点で爆睡という日が続きます。
3月の定期検診
退院してから半月が過ぎた頃、外来で定期検診の日がやって来ました。レントゲンの結果は問題無し。
この時点での曲がりは100°くらいで、曲げ続けた時の痛みの具合としては、やっと落ち着いて食事を取れるようになってきたという段階でした。
ここで入院中に言われていたある事が現実味を帯びてきます。
実はこれ、入院中の回診の時から言われていたのです。全身麻酔をして膝を曲げるだけの手術。
手術が1月だったので、期限は残り1ヶ月。
ダンスでフロアの振り(床に手足を着く低い姿勢の踊り)をやれるようになりたいという希望があったため、それに伴い日常生活の動きとしては正座が必須であるということを、リハビリの先生方とも共有をしておりました。
ギリギリ間に合うのではないかという見込みもあったため、翌月の定期検診に最終決定を委ねることになりました。
4月のリハビリ
新学期が始まる4月。そして退院して1ヶ月を迎えました。
外の世界全てが魅力的で、あっという間の日々を過ごしながらも続いていたリハビリ。
毎日手伝ってくれていた母がマッサージをしていて気が付いたことがありました。
※今までと髪の毛の色が違う素材になってしまいましたが1ヶ月半もあれば気分が変わることもあるよねってことで。
リハビリでも診ていただき、どうやらそのようだと、ひとつの原因にたどり着いたチームちがみ。
4月10日のお誕生日までに120°を目標に、太腿のストレッチを強化し始めます。
直前の週末に父が帰宅し、太腿の疲れを相談したところ、とあるグッズを紹介してくれました。
今や日々の日課、DOCTORAIRです。
しかし、翌週から海外出張とのことでお誕生日までには届かず。🤣
リハビリ室では超音波を使用しながらの曲げ、そして後半にエアロバイクを漕ぎ、自宅ではひたすらに太腿のストレッチを進め、痛みとの戦い。
膝を着いていられる時間も限界がある中で、目標であったお誕生日までに120°は届きませんでした。
しかし、諦めず毎日少しずつ自主トレを続けていたところ、奇跡が起こります。
4月の定期検診
都合により主治医が代わり、初の定期検診がやって来ました。入院時から手術や回診にも携わってくださった先生なので、あらましの状態は把握済です。
最後にお会いしたのは90°しか曲がらなかった頃でした。さて、披露のお時間です。
125°!
ちがみ、受動術を回避しました!
とはいえ、やった方がいいならやりたいという旨を伝えた所、どちらにせよ痛いことに代わりはないようで。
私は特に痛がりの部類のため、また術後の痛みで曲がらなくなってしまう可能性が0ではないということで、今後も太腿のストレッチで改善していくことになりました。
実は少しでも曲がるようにという対策で、レントゲンの後にリハビリ室で少しだけエアロバイクを漕いでいました。
ズルではないらしい。🤣
ここまでが4月前半までの出来事。
んでDOCTORAIRは?
届いたのは4月の定期検診の後でしたが、明らかに父が結んだのだろうなという、少し不器用なリボン結びで届きました。
こちらは使用を開始してからアンバサダープログラムに参加させて頂く運びとなったため、活動の一環として単独記事を書かせて頂きます。
リハビリの実体験を元に綴る使用感レポートをどうぞお楽しみに。
ということで、退院日記でした。
次回はDOCTORAIR様のアンバサダー記事を挟ませて頂きます。毎日大活躍中。
閲覧ありがとうございました。
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