千上舞桜です。
・2025年1月半ばより膝の怪我で入院中。
・病院名や医師名を伏せた上でリアルな表現を使用します。ご注意ください。
・表現者さんや身体を動かす職種の方への参考になれば幸いです。
こちらの記事の続きです。
続けて読んでいただくと分かりやすいですが、より痛いです。
翌朝
夜が明けて、まず祖父が起床します。
サポートを断ってしまっていることに申し訳なさを感じつつ、何十年と続けている日課のスクワットなどは気にせずやってほしい旨を伝え二度寝。
母が起床してから、前夜に編み出した方法で簡易トイレに挑戦。互いに現実を受け入れつつも、パニックに陥る私。それでもどうにか用を足しました。(激痛)
この記事を書いていて思い出したことですが、階段に苦戦している間もパニックで呼吸と共に叫び声を上げていました。
ご近所さんに見られたら……という親族の気持ちと
そんな世間体どうでもいいから助けて!という私の気持ちのぶつかり合いでした。
菓子パンを食べて待っていると、父到着。自身が膝の手術を経験した際に購入したマイ松葉杖を持って来てくれました。
※父はダンスとは無縁で、日常生活で負担がかかった末の手術だそうで箇所も別です。
試しに練習。脇や手が痛まないようにクッションが付いていることや、杖の底がレンタル品より幅があるように感じたので譲り受けることにしました。(激痛)
後に私はエクスカリバー松葉杖と呼び出します。個人的な呼び名ですがゲーマーの両親には通じるでしょう。
束の間の家族団欒をしながら、深夜に母の生き霊を視た話をしました。食卓の自身の席で考え込んでいたよと。
父はその類を信じないタイプなのですが、亡くなった祖母や犬達の生活音が当たり前の様に何年も聞こえるような家なので、大いにあり得る。夢ではなかった。
私の怪我も……
刻々と時は過ぎ、病院の受付時間がやってきます。前日に再搬送予定だった病院宛の紹介状をいただいていたので、母が電話で経緯を説明して整形外科とのコンタクトに臨みました。
その間に私と男性陣で、もしも自宅療養になった場合にどう過ごすかのシュミレーションとして、前回の松葉杖の記憶を呼び起こしていました。
高さを保ったまま痛みを抑えて過ごす方法として、スーツケースにクッションを乗せたらソファに座ることができそうだと判明します。(椅子としても使える仕様の品のため、高さがちょうど良かった)
母は時間を置いて何度か病院へ連絡を続け、ついに外来に行けることに。入院前提で荷物をまとめ、さっそくエクスカリバーで玄関に向かいます。(激痛)
玄関前で祖父の手を握った時はさすがに涙が溢れそうになりました。
ここで入院させてください!
今日からお前の名前は……
(めっちゃそのままだな……)
病院に到着しました。
三角巾・スーツケース・クッションを駆使して車から降り、車椅子に移ります。ロータリーなので時間をかけられない中での移動でした。送迎待ちのマダム達もかける言葉が見つからない痛がり様だったようです。
さて、私の左脚を吊るのは力仕事です。
受付:母
三角巾:父
車椅子操縦:私
という分担で整形外科を目指して行きます。
父にバトンタッチしても尚「上げて!上げて!」と左脚の平行を望む私の声が響き渡ります。
以前ラジオで前回の松葉杖のお話を聞いてくださった方は心当たりがあるであろう
という嘆きのさらに伏線回収かのように、めちゃくちゃ車椅子の操縦が下手くそでした。全然曲がれない。
※後に片方ストッパーが掛かっていたからと判明しますが、それにしてもでした。マ○オカートでしか運転できないのでねぇ。
あまりの光景に、整形外科の待合に入る時は見かねた他の患者さんの付き添いの方が押してくださりました。その節はお世話になりました……。
ということで、1時間程待ち診察室へ。
入室までに時間が掛かっている様子から、看護師さんや先生も只事では無さそうな気配を察知し、入室のサポートと足置き場を整えてくださりました。
前回の記事で触れていなかった「そもそも膝の状態がよろしくないこと」について初めて言及することになるかと思いますが……
中学校入学後に昔から痛みが強かった成長痛で整形外科を受診し、レントゲンを撮りました。
その際に両膝の骨格が少々特殊であることと、右膝に分裂膝蓋骨、左膝に棚障害を患っていることを知りました。右膝に関しては先天性の症状で間違いなさそうです。
当時は私のビビり具合や、今後の体育の授業や部活動での運動量に賭け、手術を行わない選択を取りました。しかし膝周りの筋肉が少ないままその後約14年間過ごした結果、今回の怪我に繋がってしまいました。
マーチングでのサイドマーチ、ヒップホップダンス、モデルウォーキングは私の骨格には特に負担をかけていたと思います。
搬送先でのCT画像の提出や、上記のような持病の症状を伝えた上で治療方針を決めていく訳ですが……
帰宅して手術日に来院か即入院かの2択を提示され、入院を懇願しました。
外来までの間に自宅療養の案も出ていましたが、ここは経験者の父が真っ先に却下。私も却下。
その結果、常に付き添いが必要な状況であることや、祖父と2人きりで共倒れになってしまうリスクなどを考え即入院の選択に至りました。
病室の空きを確認できた所で、入院に向けて採血やレントゲンなどの検査に行くことになります。
ここで救世主、板付き車椅子!
左脚を伸ばしながら乗ることができるように台紙が敷いてあるため、だいぶ気持ちが楽になりました。ただ痛みはあるため、膝裏〜足首付近にクッションを敷き、三角巾で板と脚を縛って固定しました。
採血で泣かない姿を見せてドヤ顔してみる26歳娘であった。
病室にて
検査を終えて待合に戻ると、病棟の看護師さんがお迎えに来てくださりました。正午を回っていたため、念のためと父が調達してくれたパン・おにぎり・飲み物を授かり、両親と別れ病棟に向かいました。
病室のベッドには足台が用意されていたのですが様々な音が響いてしまい、自宅から持参したクッションと病棟の分厚いクッションを敷くことになりました。
時間的に半ば諦めていた食事を出していただけることになり、半分ほど食べた所で整形外科の先生方がやって来ました。
そして、衝撃の事実を知ることになります。
なんと、整復をしていただいたのにも関わらず何かの衝撃で再び脱臼していたのです……
ということと、レントゲンの結果私の骨格上の正しい位置に膝のお皿がない状況だったとのことです。そのまま一晩過ごし病室までたどり着いたようでした。
散々出てきた(激痛)の正体でした。
そして、その場で痛み止めなしの整復を試みたものの……やはり戻りきらず叫ぶ私。満室の病室でしたが必死の制止をしました。
先生方の判断で全身麻酔で整復することに。しかしある問題が。
すぐにやってあげたいけど……半分ご飯食べちゃってる……
吐き戻してしまうリスクがあるため、その場で食事を切り上げ、約6時間後に全身麻酔で整復に臨むことになりました。
どうにか痛みを和らげられないかと、勤務時間外にも関わらず動いてくださることになり、麻酔使用の同意書など書類の記入や家族・関係者への連絡を進めました。
この時点で脱臼の整復と骨折の手術が2回に分て行われることも決定しました。
救急車で搬送先を探していただいている間に何件か電話をしていたのですが、入院と手術が決定した旨を伝えながらその時を待つことになりました。
ということで、予定の半分ですが入院編でした。長いコラムになりそうな予感……
次回こそ手術編です。閲覧ありがとうございました。
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JESHOOTS.COM「白いボタンアップシャツと青い聴診器の女性」